[Momoha] 米黒人青年射殺事件について思うこと




ある日の勉強風景の画像を貼りましたが、今からこの画像にはあまり関係のないことについて書こうと思います。これから下は、タイトルにもなっている米黒人青年射殺事件に対して、あくまでも個人的な見解を述べたものです。

先日、イマドキの若者らしくFacebookを見ていたら、知り合いがピースサインを連発している写真の中に高校の同級生の投稿を見つけました。どうやら、私の高校時代の恩師が母校でChapel Talkを行ったようでした。Chapel Talkとは、私の高校で週に2度開かれる全校集会のようなもので、学校内の教会でその年の卒業生が毎回一人ずつスピーチをするのですが、卒業生以外にも先生がスピーチを行うこともあるのです。その日は、私のかつての歴史の先生がスピーチを担当したようでした。

そのスピーチは今話題のミズーリ州ファーガソンの白人警官ダレン・ウィルソンによる黒人青年マイケル・ブラウン氏射殺事件についてだったそうです。この事件がアメリカ国内で人種差別の例として問題視され、各地で大規模なデモが行われてきたのはみなさんご存知でしょうか。いや、なんとなくかもしれないけれどきっと知っているはず。日本でだって、各局のニュース番組が取り上げてくれたと思います。

SmithのキャンパスやNorthamptonの町でもプロテスト活動が行われました。大きな声を張り上げて反対の意を唱えたり大勢の人たちがそれに聞き入ったりするのを私も何度か見かけました。それは決して一度だけではありませんでした。ニュースに疎い私でも嫌でもその話題を耳にしました。なんとなく人に聞いて、なんとなく事態を把握して、なんとなくは「なるほど、ひどいことが起きているんだな」と思いました。しかし、それでもプロテスト活動に加わろうとは一ミリも思いませんでした。「そんなことより私は宿題を終わらせなきゃいけないんだよ!」(写真参照)

そんな私が恩師のChapel Talkの原稿を読みました。ソースはココ

私の恩師のスピーチは、休日に故郷であるボストンに帰ったという話から始まりました。私が卒業する少し前に生まれた娘さんを連れて家族で旅行をした、と。そしてその夜、ボストンのホテルに泊まると、窓からヘリコプターとサイレンの音がしたそうです。彼女がネット上の記事やツイッターを使ってわかったのは、デモが行われていたということでした。しかし彼女は状況を把握してもデモに加わることはありませんでした。「もし逮捕されたらどうするの?私には娘がいるのに。それに射殺されたのは私の息子じゃないし、逮捕されたのも私の兄弟じゃない。」という心情をスピーチで明かした彼女は白人でした。

そして私もまた、「そんなことより」で話題をそらし、何かしらの行動を取るよりも「宿題」を取りました。そう選べることが一つの「権利」であったことに今日初めて気付きました。当たり前の選択肢が実は当たり前ではなかったのです。射殺されたのが自分の息子で、逮捕されたのが自分の兄弟の人もこの国には存在していて、そんな人たちは社会に根付いている歪んだ価値観を変えようと、変えなくてはいけない立場にいるのに、私は自分には当たり前の「権利」の元、のうのうと宿題をやっていました。

じゃあ宿題するのがいけないのか、というと、そうではないと思います。まずは、状況を知ることからでもいいんじゃないか、という恩師の言葉が胸に響きます。国を思うなら、国の現状を知るということから始めてみるべきじゃないのか。
We can start by acknowledging what is happening in this country, right now. We can acknowledge our positions of privilege without being defensive. We can acknowledge the reasons for anger, protests, and even riots. We can acknowledge institutional racism that exists, and not push it under the rug because it makes us uncomfortable or because we fear we will come to hate America. It is out of love of our country that we demand more from our government, from our leaders, our neighbors, our friends, because we want to construct a society that we can proudly call American.
この国の嫌な部分を知ってしまったら嫌いになってしまうのではないかという恐怖から無知を選ぶよりも、この国を思ってこそ国の現状を認識するべきだという考えに圧倒されました。そうだった、私は好きで留学していて、好きでアメリカにいるんだった。

「知る」「認識する」という行為は、目に見えない所為か役に立っているのか不安になることもありますが、自分が住む場所をより良いところにしたいという気持ちから現状を知り、認識するのもアリだと思いませんか。


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